。。夢見るDonko列車 。。

人生のんびりのほほん、ゆったりまったり物語ります。

式部が詠んだ「白嶺」は日野山

福井新聞 12月14日(土)の記事を読む・・

 




「春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな」
 (春だからとて、こちらの白嶺の深い雪のように、私の心もいつ解けるかわかりませんよ)



紫式部越前国で暮らしていた997年に、後の結婚相手となる藤原宣孝に送った和歌。
この「白嶺」は、国内複数の研究者によって加賀国の「白山」と解釈されてきたようなのですが・・

紫式部は白山をどこから眺めたのか(616967.pdf)

 

しかし、やはり地元「日野山」を詠んだものに違いないと、鯖江郷土史懇談会の会誌第32号に青木豊昭さんが調査結果を論文にまとめ寄稿されたそうです。

 

元県立一乗谷朝倉遺跡史料館館長 青木豊昭さん(80歳)
 式部が恋の駆け引きの演出に取り入れたのは、丹南地域になじみ深い雪景色だった・・。

 

青木さんは、日野山にまつわる別の調査中に、京都市醍醐寺に伝わる史料群「醍醐寺文書」から、現在の越前市味真野地区にあった荘園「真柄荘」の範囲を示した二つの古文書「橘行盛譲状案」(1192年)、「七条院庁下文案」(1198年)に着目。

その南限として日野山が「日野白峯(ひののしらね)」と記されていたことから、平安後期から鎌倉初期にかけて日野山は「日野白峯」と呼ばれていたと指摘。

 

しかも紫式部は、別の和歌にて白山を別の異なる表現で詠んでいます。

「名に高き 越の白山(しらやま) ゆきなれて 伊吹の嶽(たけ)を なにとこそ見ね」
 (名高い加賀の白山の雪を見なれたので、伊吹山の雪などなにほどでもないわ)

ゆえに、「白嶺」は日野山を指していると結論づけたようですね。冒頭の和歌で「みゆき(深雪)」と雪深さを感じ取っているのも、間近にある日野山を眺めているだからこそではないかと見解を示しています。

 

最後に、青木さんは「白山を見て詠んだとされてきたが『近くに立派な日野山があるのになぜ?』というのが地元の感覚だった。我々に勇気と自信を与える痛快な研究結果になった」と話されていたそうですよ。

 

 

 

なるほどねぇ^^;;;

大きな紫式部の後ろ姿に惹かれ、稀にない大きな記事に興味深く一番に目が入ったのですが、私としては式部公園の式部しか知らず、白山のこととは欠片も思いませんでした^^; 歴史研究者の中ではそんな経緯があったのですねぇ~~(汗)。

きっと当時の紫式部が眺めた冬景色は、今よりずっともっともっと雪深く、白山ならずもどこもかしこの嶺も真っ白な白銀世界が広がっていたことでしょうから、これといって断定は出来ないけど・・

やっぱやっぱ^^; 眺めるは越前富士と呼ばれる「日野山」であってほしい^^と、越前市民でなくとも熱く願望してしまいますよネッ。。。

あなたも、日野山派ですよね? それとも、やっぱ白山派なんでしょうか・・?



 

gotogotodonko.hatenablog.com

 

gotogotodonko.hatenablog.com